じいちゃんへ

じいちゃんが死んでしまった。じいちゃんのことを忘れないための記録です。

お通夜 2

お通夜までにやりたかったことがある。

それは、じいちゃんの写真を集めて、アルバムを作ること。それをみんなに見てもらいたかった。

 

大学生のとき初めて一眼レフを買い、じいちゃんを被写体によく撮っていた。

じいちゃんは男前だ。顔立ちがはっきりしていて、何をしていても絵になった。

畑仕事をしているところ、鉄工所で機械を回しているところ、家でテレビをみているところ、ご飯を食べているところ。

また撮っとるんか、と嫌がられることもたくさんあった。それでも撮り続けた。

 

遺影がないというので、今まで撮った写真を見返したけど、正面を向いていてカメラ目線のものが1つもなかった。ほとんど隠し撮りだったから無理もない。

結局遺影は、ばあちゃんが持っていた10年ほど前の記念写真を引き伸ばして使われることになった。心臓を悪くする前の、顔がすっきりしていて少し微笑んでいる、とてもいい写真だった。

 

ばたばたで作ったアルバムも無事完成。

1つはわたしが撮ったもの、もう1つはじいちゃんの昔の写真や、妹がSNOW(顔が犬になったらするアプリ)で撮ったもの、妹の結納のときに撮った家族写真など。妹が撮ったじいちゃんの写真はネタにしているものが大半だ。

着替えを済ませ、戸締りをし、妹の車で葬儀場へ向かう。

 

葬儀場に入るとすぐ、じいちゃんの名前と遺影が表示されたモニターが目に入ってきた。

こういうものを見ると、現実が突きつけられた感じがする。

その奥には大きな式場。じいちゃんの入っている棺桶の周りにたくさんの花。大きく書かれた親戚の名前。父の会社の方からだろうか、会社名の入った花束がぎっしり並べてある。

さらにその奥には控え室。ばあちゃんと母が着物を従姉妹に着付けてもらっていた。従姉妹は美容師をしている。

ばあちゃんの着物姿を、初めて見たかもしれない。着物の膝元にシミがあった。恥ずかしそうに手で隠そうとするばあちゃんがとても可愛らしかった。

 

 アルバムは控え室に置いておいた。

葬儀場からノートパソコンを借り、エントランスで写真の一部をスライドショーで流すことに。

 

夕方7時。いよいよお通夜が始まる。

お通夜 1

じいちゃんが死んだ、次の日がお通夜だった。

月曜日だった。

 

会社に電話をしないといけなかったので、朝早めに起きる。案の定、目がぱんぱんに腫れている。忌引休暇で2日休みを取り、残り1日、有給休暇を使って水曜日まで休むことにした。

 

冠婚葬祭で会社を休むのは初めてのことだった。

喪主をつとめる父は1週間の休みがもらえるらしい。父は職場では役職があり、仕事の引き継ぎのため朝から部下の人が家に何人か来ていた。大変そうだ。

 

目がぱんぱんの状態で、じいちゃんのところへ行く。じいちゃんは昨日よりも冷たくなっていたけど、表情は優しい顔をしている。

ばあちゃんが、じいちゃんの左腕から血が出て布団が赤くなっているのに気づく。腕には薬や点滴のアザがたくさんあり、日頃から痛そうにしていたのを思い出した。

1人の女性が昼頃に来て、段取りよく止血とシーツの交換をしてくれていた。

  

昼の3時頃。親戚や、東京に住んでいる従姉妹、その旦那さんや子供たちがぞろぞろと家に集まって来た。

じいちゃんが納棺されて、葬儀場に運ばれる時間だ。

いきなり“おめでとう”と声をかけられる。じいちゃんの妹さんだ。すごく元気な人だ。結婚する妹と間違えられていた。

 

納棺師の人たちにより棺桶が運ばれた。

いよいよじいちゃんが家から出て行ってしまう。みんなでじいちゃんに足袋をはかせ、みんなでじいちゃんを棺桶に入れた。ばあちゃんは「ありがとね」と言って、紙を折って作った鶴を中に入れていた。ばあちゃんの目が赤くなっていた。

 

実は、じいちゃんが死ぬ前の日に夢を見た。

 

よく死んだ人が夢に出てきた、という話は聞いたことがあったけど

まさか自分が見るとは思わなかった。

 

家の茶の間で、家族で会話をしている夢。

そこに、親戚のみんながどんどん集まってくる。そこにじいちゃんが居たかはよく覚えていない。家族の夢を見ること自体ひさしぶりだった。集まって、たわいもない話をしているだけの夢。なんでこんなに集まってるんだろう?そこで目が覚めた。

 

その前日、わたしは深夜まで夜更かしをしていた。

カルテットにはまり、スマホで動画をみていた。そしてなぜか松たか子の“明日、春が来たら”を無性に聞きたくなり、YOUTUBEでリピートしつづけているうちに寝ていた。

 

このところ週末はとくに予定もなく、とてもだらだらと過ごしていたので

時間があるときに実家に帰ればよかったと、ものすごく後悔した。

 

じいちゃんに最後に会ったのは今年のお正月のとき。

ここ数年、帰省すると決まって書き初めをしていた。

面倒くさいなぁと思いながらも、書き初めをするとじいちゃんとばあちゃんが喜んでくれるので続けていた。筆文字には多少の自信がある。決して人のことをほめないじいちゃんが、うまいと言ってくれるのがうれしかった。

それが最後になるなんて思ってもいなかったけど。

 

 

じいちゃんに書いた手紙

じいちゃんと一緒に、棺桶に入れた手紙を

覚えている限りでここにも書いておきます

 

妹は手紙と耳かきを入れていたな。

(じいちゃんに耳かきをするのが日課だったので)

 

 

 

じいちゃんへ

 

初めに、じいちゃんに謝らないといけないことがあります。じいちゃんの写真をみんなに見せました。じいちゃんはきっと嫌がると思ったけど、みんなに見てほしくて。ごめんなさい。

 

じいちゃんが死ぬ前の日のこと、おばあちゃんから聞きました。死ぬ直前のこと、お母さんから聞きました。じいちゃんは全部わかってたんやね。わたしの夢にもでてきてくれたもんね。

 

じいちゃん、こんなことみんなには言えないけど、じいちゃんが死んだと聞いたとき、かなしかった反面、ちょっとほっとした。今まで辛くて、苦しかったと思うから。おつかれさまやったね。これからは好きな釣りも、ボーリングも、車の運転も、タバコも吸えるね。やったね!じいちゃん。でもお刺身食べるとき、醤油とわさび付けすぎたらダメやよ。

 

あんまり褒めたりしないじいちゃんが、 習字で褒めてくれるのうれしかった。

夢はじいちゃんの好きな相撲かプロレス一緒に観に行くことやったけど、叶わんかったね。でも相棒観るときは、じいちゃんも観とるんやろうなと思って観とったよ。

 

 じいちゃんにひとつだけお願いがあります。ばあちゃんを、家族を、どうか守っていてください。わたしも守ります。

 

いろんなことに挑戦して、絶対に最後まで諦めないで全力やったじいちゃん。家族を守ってきたじいちゃん。頑固やったけどすごいと思った。わたしもこれからの人生、じいちゃんに恥ずかしくないような生き方をしたいと思います。

 

じいちゃん、ほんとうにありがとう。ゆっくり休んでね。おやすみ。

 

 

 

亡くなった日のこと 2

夕方になって、親戚が帰っていく。

お風呂から上がって、再びじいちゃんの元へ。

 

そこには父とおばさんが、じいちゃんを囲うように座っていた。その隣で、ばあちゃんが寝ていた。

父とおばさんにとって、じいちゃんはお父さんだ。昔の話をしながら、じいちゃんの顔を眺めていた。おばさんは泣いていた。

おばさんは埼玉に住んでいる。旦那さんと2人でこっちへ来ていた。家庭のことで問題があり、じいちゃんによく助けてもらっていたみたいだ。

しばらくするとおばあちゃんが目を覚まし、じいちゃんが眩しそうだと言うので、そっと布をかぶせた。

 

2階に行くと、妹が横になっていた。顔面真っ青だった。

妹はつい1週間前に結納をすませたところで、そのとき元気なじいちゃんに会ったばかりだった。じいちゃんの死を、受け入れられないようだった。妹は特におじいちゃん子だった。

結婚式はじいちゃんと歩きたいと話していたばかりだった。

受け入れられないのはわたしも一緒だったし、元気になれるような言葉もみつからない。ただただかなしい気持ちを共有することしかできない。

それでも明日のお通夜までにはしっかりしなければ、しっかりしよう、そんな暗黙の了解があった。

その日はお互い目がぱんぱんに腫れ上がるまで泣いた。

 

 

 

亡くなった日のこと 1

じいちゃんが亡くなった、5日のこと。

 

母からのLINE。朝10時くらい。

「びっくりさせるけど、じいちゃん死んでしまった。あわてないで家帰る準備して」

 

その日は日曜で、ちょうど家にいた。

すぐに母に電話。わたしも動揺していたが、電話ごしの母もとても動揺していた。

実家は石川県で、現在は大阪で暮らしている。

急いで帰る支度をして、大阪駅へ。

 

いつも帰省はサンダーバードを利用する。

石川県まで、片道2時間半。いつも決まって右側の席に座って琵琶湖を眺めて帰るけど、その日は琵琶湖を見ることすら忘れていた。

 

家に近づくたび、じいちゃんが死んだという事実も受け入れないといけない気がして、足がすくんできた。

とうとう実家に着いた。

妹の車が家の正面に止まっている。しかも道のど真ん中に。急いで仕事から帰って来たんだろう。

玄関にはじいちゃんの名前と、お通夜の日時が書かれた貼り紙。それを見た途端、あぁ、じいちゃんやっぱり死んだの本当だったんだ、そう思ったらなかなか家に入ることができない。

 

しばらく家の前に立っていたら、ちょうど母が出てきた。コンビニでお菓子を買いに行くというので、一緒に着いて行くことに。

家には父方の親戚が大勢集まっていた。十数年会っていなかった従姉妹や埼玉の親戚も。

妹はショックで寝込んでしまっていた。

 

家に戻り、やっとおじいちゃんの元へ。

奥の広間に、じいちゃん、そしてばあちゃんと近所の人が話をしていた。

ばあちゃんのことがとても心配だったが、いつもと変わらないおばあちゃんだった。

 

じいちゃんの顔には白い布が掛かっている。じいちゃんの顔を見たかったけど、なかなかその布を取ることができなかった。

ばあちゃんが「見てあげまっし」と布を取った。

 

じいちゃんが亡くなったのが朝の10時頃。

亡くなる前の夜、じいちゃんとばあちゃんは朝まで会話をしていたらしい。

じいちゃんはもう分かっていたんだろう。朝方救急車で運ばれ、病院で点滴を打っている最中にじいちゃんは亡くなった。心不全だった。

 

死ぬ前、辛かったんだろうなと思っていたけど、じいちゃんの顔はとても穏やかだった。ほんとに寝てるみたいな。

ほんのり頬が赤くなっていて、チャームポイントの長い長い眉毛が、少し整っていた。

 

 普段は信じられないくらい頑固で、ばあちゃんと言い合いばかりしていたじいちゃん。

亡くなる前の夜、どんな話をしていたかは分からないけど、はじめてばあちゃんに「ありがとう」と言ったらしい。ばあちゃんは今まで耐えに耐え続けてきたのだからきっとその一言で報われたんじゃないかな。

 

強くて頑固なじいちゃんにずっと耐えてきたばあちゃんはきっともっと強いからね、大丈夫と耳の遠くなったばあちゃんの耳元で言った。

この日記

今月5日の日曜日、じいちゃんが死んだ。

本当に、突然だった。

 

実家に帰り、仕事を休み、じいちゃんの写真探し、お通夜、お葬式、いろんなことがめまぐるしく、じいちゃんが死んだということがよくわからないままだ。今もそうだ。

 

今の自分の気持ちや、じいちゃんが亡くなった日のこと、じいちゃんと話したかったこと、じいちゃんとの思い出。

じいちゃんがわたしの中からいなくならないように、日記をつけようと思います。